第26回 激動する世界と日本


◎恐慌が資本主義の国々に広まる

1929年、アメリカで株価大暴落→恐慌(極端な不景気)が世界に広がる(世界恐慌)。恐慌がおきる原因は公民で学ぶ。ここで注意することは、この恐慌に対して採った、各国の政策。特にアメリカは絶対!!


★KEY-POINT


  1. イギリス・フランス…本国と植民地の結びつきを強め、他国から輸入をしないブロック経済。これは単に、植民地が恐慌に陥り、本国のみが景気回復にむかったにすぎなかった。
  2. ドイツ…ヒトラーのナチスによる独裁政治。
  3. イタリア…ムッソリーニのファシスト党による独裁政治→エチオピアに侵入
  4. 日本…金融恐慌(1927)に続く世界恐慌→軍部の台頭→大陸進出により景気の回復を図る

1〜4の国は二つに分類できる。一つは植民地を持つ国で、もう一つは植民地を持たない国。植民地のないドイツ・イタリア・日本は外国に進出することでその国を植民地化して活路を見いだそうとした。こうして日本は中国に進出することになるのであった。

ここでいくつかおまけをプレゼント。世界恐慌の余波が吹き荒れるなか、この恐慌の影響を受けなかった国がある。ソ連である。社会主義国であったため、国が計画的に生産量や販売量を決めて、経済を運営していたから。スターリンがつぎつぎと5ヵ年計画を実施。次にファシズムについて。これは全体主義と訳す。これに影響されたのがイタリアのファシスト党、ドイツのナチス、日本の軍部などの独裁政治。さて、このファシズムに反対していた政治運動がある。人民戦 線運動という。戦争とファシズムに反対する。スペインの人民戦線政府はドイツ・イタリアの干渉で崩壊。一方このころの日本の政党はどんな状態だったか。というと、恐慌のなかで経済力を強めた財閥と結びついた。財閥はこれによって政治力をのばした。

◎日本の中国侵略

  1. 中国では、国民党の蒋介石が、共産党をおさえ、国民政府のもとに国内をほぼ統一し(1928)、満州にも勢力を伸ばした。そして、満州における日本の権益を取り戻そうとした。
  2. 「満州は日本の生命線」

★KEY-POINT


満州国では、日本が、溥儀(清の最後の皇帝)を執政、のち皇帝にたてた。中国は国際連盟に日本の侵略を訴え、その調査団も、日本の行動を侵略であるとして、満州国を認めなかった。この時の国際連盟に参加していた日本の外相松岡洋右は椅子を蹴飛ばして退場した。こうして日中・太平洋戦争が幕を開けるのであった。

◎政党政治の終焉と軍部の政治支配

★KEY-POINT


日本で最初の内閣は、伊藤博文内閣。最初にできた政党内閣は、大隈重信と板垣退助による隈板内閣で、自由党と進歩等が合同してできた憲政等を中心にしていた。この内閣は4ヵ月程でつぶれたので、最初の本格的な内閣としては、原敬内閣ということになる。「本格的な」という言葉に注意。

◎戦争のためのファシズム体制がつくられる

  1. 国家総動員法…物資や国民の総動員体制(1938)。
  2. 大政翼賛会…すべての政党を解散(1940)。
  3. 大日本産業報告会…労働組合を解散(1940)。

◎太平洋戦争年表


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