日本はなぜ第2次世界大戦に負けたのか?


簡単に要約すると、

  1. 陸軍と海軍の仮想敵国が異なっていた
  2. 戦略がなかった
  3. 情報を軽視した
  4. 命令が明確でない

 1の「陸軍と海軍の・・・」の部分で「空軍は?」と思ってしまった人はいるだろうか。理由は極めて簡単。戦闘機はあったけど、当時は空軍は存在せず、飛行機は陸軍か海軍に所属していたのです。さて、そんなことはあまり重要ではありません。もっと大切なことがあります。それは仮想敵国、すなわち「あの国が我が国の敵であるに違いない」と考えていた敵国が陸軍と海軍では異なっていたということです。陸軍はソ連を、海軍はアメリカを仮想敵国としていたのです。

当然国が異なれば準備も違ってきます。例えば陸軍。陸軍はソ連を仮想敵国としていたわけですが、その戦場となる場所は冬になれば零下30度にもなってしまうのです。ところがこの陸軍が大戦末期では赤道付近で戦争をしているわけです。着るものも異なれば武器も違うし地形も全く違う。凍土を想定していたら実はジャングルが戦場だった、というのが陸軍だったわけです。こんな状況であれば、「戦争に勝て」というのもそもそも無理というものでしょう。

 ついでに仮想敵国が異なっていたので、軍隊の組織も違いました。その結果、陸海軍が共同で作戦行動をとることが事実上不可能になってしまうなど、今考えれば「おまえら本気で戦争する気あるのか?」と言いたくなる状況だったのです。

 2の「戦略がなかった」について。そもそも「戦略とはなにか?」という疑問があるでしょう。この戦略の定義だけでも一冊の本が書けてしまいそうな内容なので(実際戦略について書かれた本はたくさんある)、ここでは「攻め方・戦い方」ということにします。

 これもまた結構信じられないような話があるのです。戦争が始まる前に「絶対勝てるか」という天皇からの質問に陸軍は、「絶対とは言えません。だけど勝てる見込みがあることは言えます。必ず勝つとは言えませんが。」というどっちつかずの返答をしています。ならば海軍はどうだったのか。海軍は陸軍よりはちょっとだけ冷静に物事を判断していました、開戦時に山本五十六という海軍の一番偉かった人は「初め半年や一年は、ずいぶん暴れてご覧に入れます。しかし二年三年となっては、まったく確信は持てません」と当時の近衛首相に語っています。これだけでも結構いい加減なことがわかってしまいます。でももっとすごいのは陸軍と海軍はまったく連携がとれていなかったのです。海軍は先制攻撃をして早期終戦を望んでいたのに対して、陸軍の方は東南アジアの資源を確保することによって長期持久戦の態勢を確立しようとしたという、「陸海軍よ、同じ日本軍なのだからチームプレーを心がけろよ」と思わず言いたくなる最悪の状態だったのです。攻め方も戦い方も統一されていない、何ともアホな集団だったのです。

 3の「情報を軽視した」というのはこういうことです。日露戦争の時は、いつロシアの艦隊が日本に来るのか、なんていう情報はすべてイギリスを通じて日本に伝えられました。このおかげで日本はゆとりを持って(?)戦争の準備ができました。情報を収集するということに結構力を注いだのです。ところが、日露戦争が終わってしまうとこの情報の重要性をみんなすっかり忘れてしまったのです。

 日露戦争の頃はスパイを放つなどして、そのスパイからの情報を積極的に作戦に反映させていきました。でも、第二次世界大戦時になるとスパイを放っては見るものの、そのスパイからの情報などほとんど無視。アメリカなどは日本の暗号を一生懸命解読しようと大変な人の数と時間をかけたにも関わらず、日本はわずか数人で暗号の解読を試みたという、とってもやる気のない状態だったのです。そんなことをしなくても精神力で日本軍は勝るのだ、という根拠のない精神論で日本は戦争をしたのです。偉い奴等はそれでも良いかもしれなけど、最前線で敵と戦う人はつらいよね。本当に。

 4の命令が明確でない、とはどの様な意味なのか。これは中国で作戦行動を計画している軍隊(関東軍)に対してその計画(ノモンハン事件)を中止するように明確に「やめろ」と指示をするのではなく、「彼ら(関東軍)の地位を尊重して自発的に中止するように求めた」という、極めてあいまいなものだった。「察しろ、わかれ」という、何とも言えない不明確さが戦争を泥沼へと導いていったのでした。

この他にも、

 「目的があいまいだった」について。作戦行動を起こす際の基本は「補給部隊を全滅させる」というように、目的・目標が極めて単純なものであることが重要なのです。そうでないと、兵隊は一体何がこの戦いで重要なのか、優先順位は一体どうなっているのかがわからなくなってしまいます。でも実際には、「ミッドウェー島を攻略し、ハワイ方面よりする我が本土に対する敵の機動作戦を封止するとともに、攻略時出現することあるべき敵艦隊を撃滅するにあり」(1:ミッドウェー島をとやっつけ、2:ハワイ方面から来る日本本土に対する軍事作戦を止めさせ、3:ミッドウェーでの戦闘中に出現してきた敵艦隊をやっつける)というように、一つの作戦・軍事行動に際して3つもの目標があったりしたのです。これでは一体どれを優先して良いのかわからなくなってしまいます。ミッドウェー島をやっつける際に敵艦対がいたら、どちらを優先しなければいけないのかさっぱりわからない、というように「目的のあいまいさ」というのは日本の軍事行動の際に見られた一般的な現象だったのです。

 戦争をしていると、どんな人間でも肉体的・精神的に疲れ切ってしまう。そこである一定の期間戦争に従軍していると、2週間くらいの期間里帰りができる権利がふつうの軍隊にはある。日本においても日露戦争の頃まではあったらしい。でも第二次世界大戦になり、日本軍が劣勢となってくると、里帰りをさせている余裕が人数的になくなってきてしまった。だから軍人である限りは休みがないのです。今でいえば会社に毎日行かなければならず、日曜日がない生活を送らなければいけない、という過酷な条件のもとで生きていかなければならなかったのです。でもね、江戸時代が終わるまで日本には「日曜日には休む」(そもそも日曜日なんかがあったのか大いなる疑問ではあるけど)という考え方がなかったといわれています。要するにまた江戸時代になっちゃった、と考えればいいのかもしれないけど・・・。

参考文献

  1. 失敗の本質 日本軍の組織論的研究」戸部良一、寺本義也、鎌田伸一、杉之尾孝生、村井友秀、野中郁次郎:中公文庫、1991/8/10初版、1997/1/20第13版、中央公論社
  2. 「なぜ日本は太平洋戦争に敗れたのか 情報戦の敗北」長谷川慶太郎[責任編集]近代戦史研究会[編]:PHP文庫、1997/3/17第1版第1刷、PHP研究所

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